2016年御翼11月号その4

                                        

妻と飛んだ特攻兵 ―― 8・19満州、最後の特攻  

 結婚生活で何らかの問題に直面したら、まず見つめなければならないのは、自分の自己中心性、つまり相手に仕えたり与えたりしたくないという、自分の欲望です。独立した自分だけの権利を手放さなければなりません。
 「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」(マタイ16・25)。つまり、「あなたが私を求める以上に自分の幸せを求めるなら、どちらも得られないが、自分の幸せを求める以上にわたしに仕えたいと思うなら、あなたはどちらも得られる」ということです。パウロはこの原則を結婚にも当てはめています。自分が幸せになることよりも、相手にどうやったら仕えられるかを考えなさい、そうすれば全く新しい、より深い幸せを手に入れられるだろうと。パウロは、人間には自分の権利をあきらめ、全体の利益を自分よりも優先させる能力は、生まれつき備わっていない、むしろ不自然であり、それこそが結婚の土台だ、というのです。この素晴らしい、しかし、思いがけない現実を発見してきた夫婦は数多くいます。
 福音が、聖霊の介入によって人の心に明確に伝わると、それまでにない幸せを実感するようになります。あまりの幸福感で、感謝し、へりくだって、心が満たされ、たとえ期待したような満足を得られない人間関係でも、その相手に対して寛容になれるほどの解放感を感じます。
聖霊の力無しに、あるいは心の空虚さを神の栄光と愛によって満たされ続けない限り、喜んで他者の関心を優先させることなどできません。愛されているという実感や自分の存在価値を、結婚相手からのみ引き出そうとするなら、相手に失望させられた途端、傷つくだけでなく、自分の存在意義そのものが揺るがされてしまいます。逆に聖霊に満たされる、とはどういうことなのか、多少なりとも経験しているとしたら、ゆるがない愛という預金が自分の口座に十分蓄えられているので、たとえ一時、目の前の相手から愛情や優しさを感じられないとしても、その相手に寛容になれるのです。 
ティモシー・ケラー/共著 キャシー・ケラー『結婚の意味 わかりあえない2人のために』(いのちのことば社)より

 「満州に特攻隊があったのを知っていますか? そのうちの隊員の一人はね、終戦直後に新妻を特攻機に乗せて、夫婦一緒に体当たりしたんですよ」と、取材に訪れたノンフィクション作家に、元特攻隊員の老人が語った。
 1945年8月15日、日本が無条件降伏すると、関東軍が日本の民間人を残して満州から撤退、戦争終結後に、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破って満州に侵攻、日本人男性はシベリアに連行、女性は強姦するという暴挙に出た。そのほか、中国共産軍により日本人は狙われ、18万人の日本人が戦後の満州で犠牲となっている。
日本陸軍航空士官だった谷藤(たにふじ)徹夫が満州で所属していた航空部隊は、残った九七式戦闘機十一機を、ソ連に引き渡すことを最後の任務としていた。しかし、満州から朝鮮経由で日本に逃れようとする日本人を一人でも助けようと、満州に侵攻してくるソ連の戦車部隊に特攻することを決意した。戦争が終わって四日目の八月十九日、生き残って辱めを受けるよりも、夫と共にいることを選んだ妻の朝子(あさこ)は、九七式の練習機の後部座席に乗り込み、夫婦で特攻したのだった。
これは、特攻や戦争を美化しているのではない。しかし、辱めを受けるよりも死を選んだところが、妻がファラオの妾(めかけ)となるとき、自分は殺されることを恐れて、妻を妹と偽ったアブラハムとは対照的である。そこに、この夫婦が持っていた気高い理想があった。
戦前、日本ビクターの蓄音機の代理店の家に生まれた谷藤徹夫は、クラシック音楽を聴いて育ち、英国の紳士のような人で、芸術に詳しいインテリだった。徹夫が十代の後半で、学友たちと一緒に撮影した記念写真の下には、万年筆でこう書き込まれていた。
〈生と死と共に一路パラダイスの光を求めて進む親しき友。いつかは別れ行く時もあるだろう。その時の記念に残そう。永久に!!〉と。戦前、パラダイスという語は、英語の聖書、あるいは聖書的な文学に触れていなければ知ることがないはずである。徹夫の母テルは福島の会津藩出身で、幼少のころから会津式の厳格な英才教育を受け、函館にある全寮制のミッション系女学校を卒業している。会津藩全体がキリシタンだったので、彼はクリスチャンの家系なのだ。
 この特攻作戦は、終戦後に侵略してきたソ連の攻撃に対するもので、軍の命令でもなければ、侵略でもない。無条件降伏した日本国民に対するテロ対策と言える。日常ならば、正当防衛にあたるものであろう。それは、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15・13)というイエス様の教えの実践と言えないだろうか。それに従う妻は、聖書に書いてある妻の姿を現している。
もちろん、完全無抵抗主義で、全員玉砕の道も選択できたであろう。但しそれは、ソ連兵たちによる日本人女性への強姦に耐えての話である。果たして、どちらをとるかは、簡単に答えを出せるものではない。そして、不完全なアブラハムであっても、神は祝福の約束を実現されたように、不完全ながらも真理と正義を求めたならば、神の国の祝福はやがて訪れるのだ。
 この特攻作戦は、戦果を上げることで(武力で)、人類を救ったのではない。命よりも大切なものがあることを教えてくれた。そして、この二人は、夫婦で力を合わせて国民を守ろうとした。正義と信じたことのために、夫婦で命を捨てる覚悟を決めたということである。夫婦円満の秘訣は、共に使命にまい進し、配偶者をこの世との戦いにおける戦友と思うことである。そのとき、罪からも解放され、自由に生きられる。

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